|
Vol.52試みメンテ、メンテしやすいトイレとは 2007.04.03
清掃現場の現状を考えないトイレはどうなるか。
TOTO、INAX,ナショナルの新型トイレが販売競争にしのぎを削っている。トイレ協会はメーカーに協力してトイレの販売に協力し、デザインとボランテア活動の推進に取り組んでいる。しかしその影に忘れられているのはビルメンのトイレ清掃現場である。トイレ協会も車両整備協会もモデル現場の話しかしない。新設とボランテア活動だけでトイレのきれいさを維持できるだろうか。ビルメン情報センター春原氏によっても発表できなかった資料を公開してゆきたい。現場の待遇改善につながれば幸いである。
1、清掃から見たトイレの歴史
最近のトイレの進歩はすばらしいものがある。50年間トイレ現場にたずさわった者にとつては特にこの感は強い。まず初めに考えたいのは最もトイレが必要な場所である。当然公衆トイレであり、駅舎のトイレである。個人の家であればどのような便器を使おうが清掃されていようが問題ない。しかし公共トイレは避けて通れない。特に場所を選べない駅舎のトイレであろう。しかも使用頻度が高い。まずトイレの研究はこの場所を置いては無い。高価なトイレの販売目的には向かないがメンテナンスと清掃効率と清掃効果の研究には最適である。汚れのひどさと清掃頻度の必要性は家庭の場合はもちろん事務所ビルとも比較にならないほど過酷である。1950年代からの上野駅のトイレはトイレを語るための原点である。ここにはトイレの歴史が詰っている。当時の問題点は行列が出来ない事と汚れていないことの2点であった。しかし当時の写真はほとんどない上に、トイレの宝庫である南武線,東武線、大師線、鶴見線、などのトイレも改装されて昔のトイレは姿を消した。筆者に記憶では新橋駅は1939年には水洗化されていた記憶がある。おそらく上野駅もそのころは水洗化されていたはずである。当時の掃除は駅員さんの仕事であった。定期清掃は鉄道弘済会の仕事であった。まず1人で簡単に掃除し易いことであった。
しての写真2点は新型ものであり流水式(トルコ式)と呼ばれている。左は常にまたはコックで溝の上に水が流れる形式でいわゆる川屋である。右は床全体に水が流れ足を置く場所だけ高くなっている形式である。当時は陶器の便器とセメントで作られていた。写真はプラスチック製でかなりあとの物である。清掃の点では右側が優れている。

ところがトイレの2つの条件@行列が出来ないAトイレと清掃しやすいトイレの問題はいまだ解決されていない。左の写真は昔のトイレを改造したものである。上野駅を初め駅舎のトイレはほとんどこの形式であった。その理由はトイレの使用効率が高いことと清掃がしやすいことである。行列が出来ないはトイレの数を増やせば解決できる。駅舎のトイレはある程度解決されてきた。(反面トイレ数が減った場所もある)。ところが清掃し易いトイレはほとんど研究されていない。(汚れのつきにくい便器は研究されている)。
トイレ清掃とはよごれと臭気が無くすことである。
2、トイレの清掃とは
よごれと臭気が無いことがきれいなトイレであるが、完全には無理である。完全に汚物の付着が無ければ現在の水洗であれば臭気は無い。その証拠にトイレが使用されなければよごれはもちろん臭気も無い。床も便器も乾燥している。床がぬれている限りは使用されているということであり、汚れが目に付かなくとも汚れていると考えて良い。この程度の汚れの場合消臭剤が併用されればにおいは感じられない。目に付かないトイレの汚れは臭いで感じられる。トイレの臭いは汚れがトイレにしみ込んでいると言う事である。最も多いのは床のセメント目地である。もちろん便器の裏側なども汚れがあるが、これ等は洗浄可能である。問題はしみこんだ汚れである。しみ込んだ汚れは除去できないすなわち清掃不能トイレである。
清掃不能トイレは床が吸水性の素材を使用している場合である。
品川駅のトイレがそうであった。水を撒くとあっという間に吸い込まれる。吸水性の高いスレートが使用されていた。我々は2年ぐらいで使用できなくなると予測していた。3年で立て替えられた。おそらく臭気の問題が出たと考えられる。新しく立て替えられたトイレは男子用の汚垂石に赤系の花崗岩を使用したこの石も汚れがしみこむ性質がある。床面は以前ほど吸水性が無いが汚れは目立ち易い素材である。これはデザイナーが清掃のことを全く考えずに設計したに他ならない。清掃が悪い、の一言で片付けられるのが現状である。
3、清掃不能トイレを作らない
清掃のし易さと使用頻度と清掃回数を考えないトイレはいずれ使用できなくなる。どのようなトイレでも初めはきれいであることを忘れないでほしい。清掃のしにくいトイレは清掃回数を増やさなければならない。これを行わないといずれは使用不能になる。
バブル時に建てられた白大理石のトイレの末路とフランスから輸入されたテラコッタを床に使用したトイレがどうなったかを考えてほしい。当時はスクラップ&ビルドの時代であったがいまや節約の時代である。
4、清掃現場の声を取り入れていただきたい。
トイレ清掃の必要性を考えるところが無いのが現状である。トイレ協会もトイレの新設を目的としているとしか見えない。またトイレ清掃をボランテアや精神修養として扱うのは現場の人たちに対してどうかと思われる。トイレ清掃が全てボランテアで行われるならば別である。トイレ清掃を行ったことの無い人がトイレ協会での講演を行っている場合が多い。また事務所ビルの日常清掃と駅舎トイレの清掃では大きな差がある。いずれにしても清掃しにくい素材のトイレは我々が提案してから30年になる。またトイレ清掃に使用される弗酸系洗剤の危険性も提案後20年になるが全く取り上げられない。またトイレ清掃はノロウイルスなどの菌感染の危険もある。待遇改善はもちろんであるが、少なくとも現場の現状を認識する必要がある。そしてそれはトイレ協会や便器メーカーの遥か下にある。現実を知るには現場に飛び込む以外には無い。今後清掃の人手が少なくなるのは確実である。そのとき清掃のやすいトイレは必ず必要になる。トイレ使用のマナーを求めるのは悪い事ではないしかし現場への実質的対応が急務である。駅トイレを1日清掃しなければどうなるかは全ての人が知っているはずである。しかしそれに触れる事を避けているのが現状である。
5、便器の火事と清掃しやすいトイレ
日本が世界に誇る清潔この上ないウオッシュレットが火を吹いた。まさに便所の火事である。きれいなトイレと清掃しやすいトイレは同じではない。新しいトイレはきれいである。トイレを作り直すことはメーカーにとつて一番望ましいことである。現在トイレメーカー全ての中心にある。しかしその重要性はトイレメーカーも清掃現場も同じである。しかし現実は本当に厳しい清掃現場は無視されたままである。火事を起こしたウオッシュレットは清潔で便利である。しかし普及しているのは日本だけである。その理由を考える必要がある。これにより清掃はその国の生活環境や生活様式を反映するものであり、世界共通の清掃法は存在しないという学説の正しさが分かる。ウオッシュレットの普及がその国の文化を表すという説はパウダークリーニングの普及率がその国のメンテナンスレベルであると述べたアメリカの資格販売業者の考えと同じである。その反面中国のニーハオトイレが良いとも思わない。今後のエコ問題や地球温暖化を考えるとトイレ問題は難しい大きな問題である。
便器の火事のニュースが外国でどのように取り上げられるかぜひ知りたいものである。確かに病人や老人にとって必要であり、このアイデアの元はアメリカの病院で開発されたものであり、本国では余り普及しなかった。わが国では1般家庭に使用され普及率65%といわれている。しかし超高層マンションなどの現場で見る限りその機構を十分に使いこなせているかどうかは疑問である。この点は携帯電話に良く似ている。
清掃のし易さとコストの点ではわが国の汽車便(写真)はウオッシュレットに劣らない発明であると我々現場は考えている。我々現場はビルメン情報センタの春原氏とともに20年前から末端現場の現状を訴えてきた。しかしデザイン優先と新設トイレとトイレ使用の精神主義に押されて真剣に取り上げられなかった。トイレの清掃は清掃関係者だけではない緊急の場合設備関係や駅員の方々まで報われない仕事を行っていることを知っていただきたい。この点からも低価格で清掃しやすいトイレの開発と清掃の研究に取り組む必要がある。
|